瀬戸窯跡[小長曽陶器窯跡] (国記念物(史跡))
更新日:2011年3月28日
ID番号: 1006
小長曽陶器窯跡(こながそ とうきかまあと)
- 窯体1基および工房跡・灰原 指定地面積:1509.07m2
- 室町時代(14世紀末~15世紀初頭)・江戸時代(17世紀末~18世紀初頭)
- 所在地:東白坂町(東京大学愛知演習林) 土地所有者:国
本遺跡は、江戸時代にはすでに窯跡として知られており、昭和21年(1946)には日本陶磁協会により瀬戸で初めて学術発掘調査が行われた窯跡です。
小長曽窯跡は室町時代初めの14世紀末から15世紀初頭に「古瀬戸」と呼ばれる施釉陶器を生産した遺跡で、製品を成形したロクロの跡や焼成前の素地を乾燥させたと思われる施設の広がる工房跡と、製品を焼く地下式の窯体1基、焼成不良品や灰などを廃棄した灰原で構成されます。
窯体は、薪を入れる燃焼室と製品を置いて焼成する焼成室で構成されており、その間に炎を左右に振り分ける分炎孔がある中世瀬戸窯に通有な構造でありながら、焼成室の中央に障壁と5本の支柱も設置されている構造は特異です。このことは、窯体の焚口手前の狭い範囲から江戸時代の茶入や碗などの茶道具やそれらを生産するための窯道具も出土していることも考慮すると、江戸時代中頃の17世紀末~18世紀初頭に中世の窯跡に手が加えられ再利用されたことを示しています。この事実は、天明8年(1788)に完成した『張州雑志』の「平 小長曽ノ窯 元禄十二年有命 彦九郎焼之」とある記述とも符合し、他の文献も参考にすると、元禄12年(1699)に大殿様(二代尾張藩主光友(みつとも))の命により赤津の陶工の彦九郎(ひこくろう)が、より上質の茶陶生産を行ったものと考えられます。
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