昭和6年(1931)に勃発した日中戦争の長期化によって、日本の国民生活は徐々に戦争中心になっていきました。そして同16年(1941)に勃発した太平洋戦争以降、より一層、国家・国民総動員体制で戦争が遂行されていきます。瀬戸窯業も、軍需優先による影響を真っ先に受け、石炭燃料の不足、兵役・徴用による人員不足など苦難の時代を迎えていました。加えて同17年(1942)には、企業整備令により、1200あった企業が約120の企業に統合・整備されていきました。まさしく瀬戸窯業の危機でした。

 しかし、このような厳しい状況の中においても瀬戸では、石炭の代替燃料である亜炭(あたん)(皮木(かわき))を使用し、軍需優先により、いち早く供出させられた金属製品の代わりとなる「代用品(だいようひん)」や、国民食器(こくみんしょっき)など国策に応じたやきものを中心とする生産へと移行することによって、この時代を乗り越えていこうとしていました。特に代用品(だいようひん)は、鍋・釜などの生活用品から、手りゅう弾などの軍用品、そして梵鐘(ぼんしょう)や陶貨(とうか)まで多種多様なものが生産されていきます。この代用品生産によって、割れにくいやきものの開発や、型による成形技術の進歩など、後の瀬戸窯業に欠かせない技術が生み出されていきました。
陶貨
20世紀前期 径1.5 
瀬戸市歴史民俗資料館蔵
瀬戸風景(昭和前期) 陶製ガスコンロ
20世紀前期  瀬戸市歴史民俗資料館蔵