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瀬戸は、1300年の土と炎の歴史を有する陶磁器のまち。日本では、陶磁器のことを「せともの」と言うほど、瀬戸は日本の陶磁器産業の中心地であり、陶磁器の技術は、この瀬戸から始まったといっても過言ではありません。
瀬戸の市街地を取り囲む丘陵地帯には、陶磁器の原料となる良質の陶土やガラスの原料となる珪砂を含んだ地層があり、瀬戸の陶磁器は、こうした原料と北・東部の山間地帯に広がる豊かな樹林を燃料として約1300年前に始まったと言われています。加藤四郎左衛門景正が中国の技術を学び、のちに瀬戸で日本初の本格的な施釉陶器である「古瀬戸」を作り始めました。加藤四郎左衛門景正は、陶祖・藤四郎と呼ばれ、瀬戸公園に陶祖碑が建てられ、陶彦神社にもまつられています。
18世紀後半に、九州・有田の磁器が日本中に普及し始めて、瀬戸の陶磁器産業は、窮地に陥りました。この危機を救うため、磁祖:加藤民吉が有田に磁器の技法を学び、瀬戸で広めたことから、瀬戸の陶磁器産業が再び蘇生しました。陶磁器の代名詞として「せともの」と言われるようになったのもこの頃からです。明治時代になると、陶磁器が海外へ多く輸出され始めますが、一時期大量生産による粗製乱造を招き評価を落とします。しかし、昭和時代前期に戦時下の代用品生産などで苦境を乗り越えると、戦後いち早く復興を果たし、以来現在に至るまで、日本の陶磁器産業の中心を担っています。
2005年には、瀬戸市南東部を中心に日本国際博覧会(万国博覧会)が開催されますが、歴史をひもといてみますと、瀬戸焼、特に瀬戸染付焼は国際博覧会と古くから関わりをもっております。1873年のウィーン万博を始めとして欧米で開かれた国際博覧会に数多くの瀬戸の焼き物が出品され、金賞を得るなど海外でも高い評価を受けるようになりました。こうした、「芸術・文化」の伝統や国際的な交流の精神は、現在に至るまで連綿と受け継がれており、現代陶芸の分野でも芸術家同士の交流の中から生まれた作品が数多く存在します。
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